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    ノスタルジックが大好きな平成ブロガーの散文

夢は呪いなのか? 希望なのか? 元バンドマンが自分の夢を振り返りながら考えた。

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いきなりですけど、夢ってありましたか?
子供の頃、お花屋さんになりたいとかサッカー選手になりたいとか。
多分成長するにつれて、少しずつ変わっていって。
気づいたら公務員になりたいとか、定時退社のホワイト企業に勤めたいとかに変わったりした人も多いんじゃないかと思います。
その一方で、堅実に子供のころからの夢を叶えるべく、まだアルバイトをしながら追っかけている人も居たり。

僕はと言うと、後者でした。
……そう「でした」。過去形です。
前の記事で何度か触れましたが、僕は元バンドマンで、音楽で飯が食えるようになりたいと本気で考えていました。
その結果は……言わなくても分かる通り、なれませんでした。
もしなっていれば、こんな記事は書かなかったでしょう。

じゃあ、夢って一体なんだったのだろうか。

「バンド」という夢を追っていた自分を振り返りながら、考えてみました。

 

夢が「呪い」に変わった瞬間

中学時代に始めたギター。
そのまま高校、大学と続けて、卒業が迫ってきても就職活動をせずにアルバイトで生計をたてながらバンド活動を続けました。
周りはそれなりに順調に内定を掴み、新しい生活を始めていく中、どこか自分だけが取り残されている感じ。
日々の練習やライブ代にバイトの給料は消え、以前よりも経済的に余裕が出来た友達の旅行や"お金のかかる"食事を断る日々。
そして、そこまで自分の生活をかけても一向に芽が出ないバンド。
正直、惨めでした。

バンドをやっているとよく言われる言葉があります。
「才能があっていいね」「モテるでしょ」「俺も私もそれくらい打ち込めるものがあればなあ」
学生時代が終わり、周りが社会人になると、これはこう変わります。
「人生楽しそうでいいね」「俺なんて趣味もないよ」「真似できないなあ」

「いつまで続けるの?」

いつまで?

いつまで、なんだろう。
一体僕はこの惨めな生活をいつまで続けるのだろう?

14歳でバンドを始めて、10年弱。
音楽が全てだった。
たとえ売れなくたって、色んな出会いとか、一生忘れられないような素敵な出来事とか、たくさんあった。
でも、じゃあ、こんな生活を一生続けていくのか?
同年代がどんどん仕事で出世していって、経済的にも恵まれていって、結婚だってし始めている中。
それを横目に狭いアパートで「大人になれない」なんて謎の罪悪感に苛まれて、がらがらのライブハウスでお金を払ってまでライブして。

一体、僕はどこに行くのだろう?

14歳の頃、部活で人間関係が上手くいってなかった自分に居場所をくれた音楽。
17歳の頃、一生付き合えるような友人に出会わせてくれた音楽。
22歳の頃、周りから"外れる"ことになっても胸を張って居られる道筋だった音楽。

そんな「生きる希望」だった音楽が、その頃には何か「息苦しいもの」になっていました。

それでもそれ以外の生き方を知らない。
音楽以外の居場所を知らない。
もう惰性なのか意地なのか分からないような気持ちを抱えたまま、それでもバンドを続けていました。

そんなある日。
愚直に活動を続けていたおかげか、それまで出ていたところよりもランクが上の大きなライブハウスから声がかかりました。
ただ一点、個人的な問題が起こっていました。
祖父が倒れて入院したのです。

家族や親戚からは「帰ってきて」と連絡が来る中、このチャンスをものにしたいと、連日メンバーと練習に明け暮れる日々。
メンバー全員がなんとなく分かっていたのだと思います。
「これで次に繋がらなかったら、終わりだな」って。
バイトもギリギリまで減らして、生活もギリギリまで切り詰めて、練習に打ち込む日々。
地元に帰る交通費ですら、惜しむ日々。
本当にこれが最後のチャンスなんだ、一日だって無駄にできない。
祖父のことが気になりながらも、僕はこの時、夢と家族を天秤にかけて、夢を選んだんです。

結果ですか?

祖父はライブ当日の朝に亡くなりました。
どんだけ安っぽいドラマなんだよ、俺の人生と思いました。
ライブは自分が原因で散々な結果で、次に繋がることはありませんでした。
それでも許してくれたメンバーには感謝しかありません。
そんな良い奴らと出会えたのは音楽のおかけでしょう。
ただ、祖父に最後に会えなかったのも、また音楽のせいでした。
……いや、音楽のせいなんかじゃなく、自分の浅はかさのせいだと分かっては居たんです。
それでも、もう音楽を憎まずには居られなかった。
そうじゃないと自分を保って居られなかった。
10年以上追いかけていた夢が破れて、大好きだったじいちゃんの最期にも立ち会えなかった。
"夢"が"呪い"に変わった瞬間でした。

 

 

 「呪い」を無くした日々

あの一件の後、バンドは解散しました。
それまで音楽漬けだった日々から、それを取り除いてしまうと日々は見事に無味無臭でした。
地元に帰り、せめてもの罪滅ぼしに祖父の残した畑を耕したりして、それも落ち着くとまた関東に戻ってきて就職しました。
細かい職種はふせますが、一種のマネージャー業みたいな、編集業みたいな、そんな仕事でした。
面接の時には「夢を忘れろ」なんてカッコつけたこと言われたけれど、もうその頃には音楽を聴くことも見ることも無くなっていたので「はい」と答えました。

生まれて初めて働いた「会社」は、まあ第二新卒も過ぎた僕が就職出来たところなので、給料も少ないし、残業休日出勤、果ては社泊なんて当たり前のブラックもブラックだったのですが、幸いにも人に恵まれてなんやかんや楽しくは働いていました。
小さいけれど、自分が手伝った人の"夢"が叶っていくのも、見ていて嬉しかったです。
ただ、それで満たされているのか? と問われれば、僕は迷わず首を横に振るでしょう。

激務かつ少ない給料ながらも「会社員」という肩書を周回遅れで手に入れて、やっと胸を張って友人たちとの飲み会にも出られるようになりました。
音楽=プライベートだったので、それが無くなった今、そのリソースも割いて仕事に取り組みました。
その結果、小さい会社だとは言え、役職だって手に入れました。
あの頃、必死に時間を作って没頭していた"音楽"という"呪い"が無くなった今、もう仕事しかやることがなかったのです。
音楽以外の唯一の趣味だった読書だって一切しなくなったし、そもそも「好きなことをやる」という、それ自体がもう僕にとっては"呪い"でした。
何か好きなことを見つけると「才能の有る無しに関わらず、夢中で取り組んでしまう」という性質が嫌と言うほど分かっていたからです。
それはある意味、強みと言っていいかもしれません。
10数年間、夢を追い続けたことを褒める人だっていました。
でも、それでは飯が食えないんです。
夢を追って、それで成功して、生活に困らないなんて人が一体何人居るんでしょうか?
それは頭の良さなのか、単純な努力の結果なのか、運なのか。
少なくとも、僕にはそれのいずれかが……あるいは全てが足りていませんでした。
そして、それでも”好きなこと"を捨てきれないことこそが、"呪い"だったのです。

だから僕は一切の趣味を封印して、愚直に仕事をしました。
それで満たされないとしても、そうまでしないと自分は"普通の生活"を維持できないと思っていたからです。
「音楽をやりたい」とむくむくと起き上がってくる"呪い"を押し殺して押し殺して、人の夢の手伝いをする。
嬉しそうな顔を見るたびに、蓄積されていく小さな嫉妬からは目を逸らしながら。

その結果どうなったか。

ある日、会社に行けなくなりました。
激しい吐き気と腹痛。
適応障害」という心理的な病気になってしまったのです。

大バカヤロウです。

 

 

 

「好きなことをして下さい」と言われて

会社に休職届を出して、何も予定がない日々が始まりました。
医者には「ゆっくり休んで、好きなことをして下さい」なんて言われました。

はて?

「”好きなこと”を我慢して、"呪い"にかからないように、ここ最近真面目に生きてきたのに、どうして?」
休んだばかりの頃、割と本気でこんなことを考えていました。
馬鹿というか、やっぱり結構ヤバかったんだなと思います。

好きなことを徹底的に我慢していた結果、僕は余暇の使い方が分からなくなっていました。
適応障害のほかに、ワーカホリックだとも言われました。

必死に自分が好きだったことを思い出して、でもやっぱりまだ「音楽」には触れられなくて、まずは読書とか、映画を見たり、そういうことから始めました。
そうすると、ある日、自然と一本の映画に手が伸びました。

ソラニン

18歳の頃、上京する時にギターケースに一緒に放り込んたマンガ。
14歳の頃、僕に居場所をくれたロキノン系のバンドの中でも特に好きだったアジカン
今見ると安っぽいドラマだな、と思いました。
思いながら涙がボロボロと止まりませんでした。
すぐにギターを引っ張り出してきて、1万曲以上入っているのが自慢だったipod classicを引っ張り出してきて。
なんて音楽って楽しいんだろなって。こんなんで救われるなんて、どっちが安っぽいドラマだよ、なんてまたボロボロ泣いて。

大バカヤロウです。
20代後半にもなって、くそダサいです。
これで音楽が"希望"になったのか? と言われれば、なってないです。
ただ一つだけ言えることは、この時、夢は"呪い”でもなくなったんです。

 

 

 

夢は呪いなのか? 希望なのか?

「夢ってなんですか?」

この問いは、たぶんこう言い換えられるのだと思います。

「好きなことはなんですか?」

 

花が好きだから、花屋になる。
サッカーが好きだから、サッカー選手になる。
安定した生活が好きだから、公務員になる。
音楽が好きだから、バンドでプロになる。

夢を追う原風景ってなにかしらの「好きだから」。
それを一生続けるために、仕事にするという"希望"を持って、努力する。
「好きなこと」が「義務」になる。
その「義務」に「好き」が押しつぶされた時……たぶん、夢は「呪い」になるんじゃないでしょうか。
ただ、その時「義務」にならずに「好きだから」のまま続けられる人たちが居て、その人たちにとっては「希望」のままなんでしょう。
つまり……夢は呪いを内包した希望なのだと思います。

一見輝いて見えるけれど、押しつぶれたり、裂けたりすると、その中からは呪いが溢れだす。

頭の良さや努力や運が無かったから?

その人が弱いから?

いいや、違う。

好きすぎて、でも不器用で。

子供が玩具を壊すように、握りつぶして怪我をしてしまっただけじゃないでしょうか。

そして、それをその玩具のせいにしてしまっただけなのではないでしょうか?

本当は大好きなのに。

 

 


僕はアホ程遠回りして、やっと「好きなこと」に返ってきました。
久々に会った音楽は本当に、もう、ちょー楽しい。
じゃあ、また改めて夢を目指すのか? 音楽のプロを目指すのか?
それはNOです。
当たり前ですけど、だからと言って、もう音楽を手放す気も更々ないです。
敢えて、夢だと言うのなら、今は音楽を続けられる環境にすることが夢かもしれません。
「好きなこと」で自分の人生どうにかしようとしていたからこそ、夢は「呪い」になったのだと思います。
じゃあ、「好きなこと」を守る生き方ならば……それは「趣味」と言うのかもしれませんが。
でも、「音楽で生活をたてる」という枠組みさえ外してしまえば、今やいくらでもネットで発表出来る時代です。
クリエイティブ系だけに限った方法かもしれないけれど、なんだかそっちのほうが健全な気もします。
好きなことを”夢”にして"呪い"にしてしまうよりも。

 

そして音楽を"夢"から"好きなこと"に引き釣り降ろした今の方が、希望が持てました。
やっぱり音楽って楽しい。

生活を犠牲にするのではなく、どうやって音楽と共に生きていくか。
その生き方を模索すること。
それが今の僕の"夢"です。

 


あなたの夢は今、義務になっていませんか?

 


散文でした。